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はふとぅの間

いつのまにか、

「なくちゃいけない」物事ばっかり

私の周りやナカにあるみたいだ。

 

帰宅中の道端で、子供がぎゃん泣きしていた

 

ぎゃん泣きだ。

隣にはお母さんと思われる人が

「鞄投げちゃダメでしょ」と

子供を叱っていた。

ふと目をやると、川が見えた。

 

「もし投げた鞄が川に入っちゃったら…」

と、一瞬想像して

「なくちゃならない物はお母さんの鞄に

入ってるだろうし、大丈夫か」

と、思ってしまった。思ってしまった。

 

なくちゃならない、なんて、

どの面下げて言えるんだろう私は。

 

その子にとっては、

その鞄の中に入ってるものが

その子の財産かもしれないのに。

もしかしたら命が入ってるかもしれないのに

 

たしかに社会的に見たら、

「なくちゃならない物」は

入ってないかもしれない。

うん、きっと入ってないだろう。

でもなあ、なんか、

 

どうでもいいものだろうな、大丈夫だろうな

 

そう思ってしまった自分に嫌気がさす。

 

私の中には、周りには、

どれだけの「なくちゃならない」物事が

あるんだろう。

 

お水は?1万3000円は?バナナは?誕生日に弟からもらったタンブラーは?仕事の書類は?セフレは?リップクリームは?家の鍵は?歯ブラシは?スケジュール帳は?

 

もにょもにょ考えてみようかな。

あと、

「なくてもいいもの」を大切にしたいな。

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次年度: 私をぱったり見なくなる人がいるかもしれません。でも生きている予定です。

 

食べたり、寝たり、必要な物を買ったり、
生活上、消費はしなくちゃ生きていけないと認識してはいますが、
最近、別の部分での消費が過ぎる。

 

1. 自分の消費
予定を詰め込む癖が抜けない。会いたい人が多すぎる。会いたい人にはどんどん声をかけちゃう。結果、消耗する。身体には多く出ないけどたぶんへとへと。質悪いことに、気づけない。

 

2. 他人の消費
1で余裕が無くなるせいでよくやってしまう。
自分の意見や感情を相手にぶつけてしまう。それだけならまだしも時に不要な欲を含む。自己顕示欲だったり承認欲求だったりは、他人にぶつけることで満たすものではない。

よくやってる人いるけど、それは人の「消費」だ。揶揄の意味を含みつつそう呼称している。

(この辺りまで読むと「消費」のゲシュタルト崩壊が起きそう。わらい。)

 

1, 2でもにゃもにゃしたように、

物理的な消費ではなく、自分や相手の見えない部分を消費している気がする。


それは、避けたい。

 

自分はそこまでできないことに

自分で早く気づいてほしい。


私は自分が心地よい範囲を探して

ふわっふわ飛び回り楽しんでいた

はずだったのに、

いつのまにかboundaryを探している自分に振り回されている。


もうやめよう。

 

自分の軸はきちんとあるんだから、

そこにもう少し、近づこう。


という訳で自分の行動範囲を狭めます。
私が声かけてきたら問うてやってください。
リルケに倣って籠り中じゃないの?」


でも最後まで読んでくれる人が、

私の内籠り中に会いたい人

だったりするんだよね。わらい。おわり。

単純かも

なんだかんだ、うまくいくと思ってた。

 

私のやりたい分野から

とことん離れたところで働き始めて早1年。

どうやら私は早くも挫折しかけている。

 

うまくいくと思っていた。

小中高と優等生でやってきて

全国でトップに近い国立の大学へ通って

趣味で続けるバレエは踊ればうまいと言われ

思考が哲学的、仕事もできそうと評価された

 

私の人生激しく楽しくやっていける

そう思っていたしそう思っているのだけど

どうやらそう上手くもいかないらしい。

 

タイムマネジメントが下手だった

人に説明するのが苦手だった

お金にさほど興味が無かった

社会の常識を是とし動く人が嫌だった

 

社会というものは、とても偏屈だと思う。

でも、疑問をもたず従える人間が羨ましい。

 

こういう気持ちを持ってから、

救われる時も多々あった。

 

先週、気になっていた男性に言われた

「俺と一緒で社会不適合だね」が、

とてつもなく嬉しかった。

十中八九叶わない恋だけど、

その言葉のために神様が引き合わせてくれた

と思っている。

 

不適合で良い。

適合するほどの価値がないと

半ば本気で思っている。

 

でも、社会に村八分にされるのは悲しいなあ

私は、これから社会でやっていけるのか

社会というよりも、まずは会社。

この社会の縮図みたいな会社。

人がものすごい密度に詰まっている会社。

この濃い人間関係に

慣れることができるのだろうか。

社会の忠犬である会社に貢献したい、と

思い続けられるだろうか。

 

ストレスを自分で溜め込み

したくない勉強を強いて、

自分は何をやってるんだろうと認知している

 

と思いつつ寝て起きたら

スッキリしていた。

単純だ。

 

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おおらかであること

「他人に興味がないよね」

 

と、先週言われました。

発言者は私の先輩で、

なぜ他人にたいしておおらかに、博愛主義で

やっていけるのか?

と長年私について疑問を持っていたそうです

 

彼女の答は、

私が「他人に興味がなく、どうでもいい」

と思っているから、というものでした。

 

この発言について

ほにょほにょ数日考えていて

ふと、

他人に興味はあるなあと。

 

相手の話を聞くのが好きだし、恋もするし、

なんなら会いたいなと思う人もいるし。

 

では"おおらか"になれる理由ってなんだろう

と考えて、

2点、考えられることが。
①ウチとソトの、ウチがとことん狭い

→大抵の人におおらか。どうでもいいから。
②相手とのやりとりに現実感を持てない

→自分の感情を持つまでに至らず、おおらか

 

これについては思考し続けたい所存。

他人とのコミュニケーションは、難しい。

 

最後てきとうだな。

 

いんぱーふぇくしょん

不完全さを好きになれるって

ものすごいことだと思いはじめている。

 

いつだって

自分の大切な人や自分自身が

完璧であればいいなあ

と思ってしまう。

 

もちろん完璧の基準は無きに等しく、

基準を語ることは畏れ多く、

人間はどこまでも不完全なのだけど、

 

こういう場面ではこうするのが良いよね、

っていう

確固たる枠を持っている不完全さとか、

 

勉強できるけど仕事できないうえーん

みたいな不完全さとか、

 

そういったものを、

愛でられるようになりたい。

 

壮大じゃなくていいから、愛を、

他人に対して持てるようになりたい。

 

「『この人なんでそんなに他人に対して

おおらかでいられるんだろう』って

思ってたんだけど、最近、ふと

他人に興味ないからかな、って思った」

 

ってこの間先輩に言われて、

自分の考えが見事に出ているな、と

唖然としました。おわり。

 

 

2016年ばいばい

気づいたこと2016:

考えて踊ること

上には上がいること

自分ルールから脱しても、
気を付ければなーんも言われないこと

鏡がいつも自分を映してくれる
ってわけじゃないこと

紫の図々しさ
とんがった唇
流し目
ライン

が好きだってこと

泣けた

バレエで、サルサで、

日本で、アメリカで、

頂く言葉ひとつひとつが

 

ずっしり響いてくる。

 

こうやって、

踊りから離れては誰かに励まされ、

閉じ籠ってはこじ開けられ、

 

結局、

 

中毒者みたいに

ずっと踊っているんだろうなあ、

有り難いことに。

 

あきらめて踊ろっか。

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