おひさ

毎日お化粧するようになって、
ストッキング履くのを厭わなくなって、
飲み会の頻度が格段に高くなって、
自分の身体や感覚も鈍ったり変化して、
考え方や言葉遣いが変わって、

社会人。ってなんだ。
楽しくて、息苦しくて、眠たい。


リルケさんがオススメする、

「自らの内に」籠る時間

を増やしたい。

めんどくさい

家族が、
「自分を一番理解してくれる人たち」
とは限らない。

「受け入れてくれる人たち」
とも限らない。

私の家族は、
理解してくれる人たちではないかもしれない
でも、底抜けに受け入れてくれる。
だから、家族の存在をとても有り難く思う。

家族は、自分のクローンなわけではないから
合わないこともある。
どれだけその中で生活していけるか。

一人でいることの方が楽なことも多い。
でも、じゃあなんで人は「楽」を譲って
他人との生活を望むのだろう。

恋人と結婚という形の生活を望むとき、
何が「楽」に勝るんだろう。

愛?
お金?
常識?
幸福感?

きっと、色々あるんだろうなあ。
そしてそれは、私みたいな若輩者には
まだ分からないんだろう

どの家族も、大小かかわりなく
いくらかは問題を抱えている。と、思う。

そこからの脱却と、
期待を胸に、新たな家族を形成すること

楽しそうだけれど、とても、大変そうだ。

愛されること、愛すること

愛する、っていう行為は

愛される対象の権利を
侵食する行為なのかもしれない。

人には、生存権はもちろんのこと
死ぬ権利
も持っていると思う。

でも、人がもし死ぬことになったら
その人の周囲に大きな影響を与える。

わたしは、周囲に愛されて生きてきた。
母に、祖父母に、弟に、父に、親族に、
友人に、恋人に、ふとした瞬間に出会う人に

その、愛は
きっと「枷」でもあるのだと思う。

勝手に一人で死なないように
自らが死を選ばないように

色んな意味で、人は、社会的に
「生かされる」
んじゃないのかな。

好きなひと

自分の好きなタイプ(ひと)って
どういう人なんだろう?

って、ずーっと考えてて、
なんでかっていうと

わりと皆さん
しっかり持ってらっしゃるのよ!
好きなタイプ。

ということで、
試行錯誤しながら
自分のことを考えてみたんだけど、

わかった。

引ける人がいいんだ!
色んな意味で。

好きなタイプは、
引き算が得意なひと。

余裕がある人に見えるのね、
引けると。

ここぞ!というとき、
たとえば、デートに誘うとか
勝負服を考えるとか

そういうときに、
気持ちがこもってることを
表現したいかもしれないんだけど、
直接的だとちょっとこっちも引く。

だから、
そうでもないですよ~
ってな感じに見える。
っていうのは大事なのかもしれない。

私は、表現の仕方が直接的なので
間接的、(いわゆる日本的?)、になると
もーちょい自分を好きになれるのかしら。

押さえるところ、取っ払うところ、
考えて実行できるといいなあ

腕と手のあいだ

剃刀で、
皮膚を少しえぐってしまった。

痛い。
いたい。
ズキズキする。

傷痕が残らない絆創膏をしようと思って、
なんで傷痕が残っちゃいけないのかなあ
と、
ふと不思議に感じた。

ズキズキ。
痛い。

爪痕、傷痕を
残す必要があるときも
きっとあるんだろうなあ

いたい。

血が流れる。
そういえば、誰かが
血を少し抜くことは身体に良い
って言ってた。

ズキ。
痛みが、その爪痕を肌に残し始める。

「しっかり」

たとえば人の写真を撮るとき、
授業でノートをとるとき、
たとえばお風呂で身体を洗うとき、

全身をきちんと映す必要があるのか?
書き留められた全てを写す必要があるのか?
全身をくまなく洗う必要があるのか?

そう考えながら、
力まずに、
少し、心を残しながら、過ごしてみる。

自分ルール、
ときに、
そんな足枷を外す勇気を持ってみると
どうやら面白いらしい。