手段と目的のすり替え
踊ることは目的じゃなくて、
手段なんだな。
と、最近切に感じる。
たとえば、
好きなひとに
好きって気持ちを伝えたくなったときとか、
言葉に出来ないモヤモヤを
どうしても外に出したいときとか、
そういう時に、
伝えたり、出したりするために
踊る。
そう考えると、踊りって、
言葉みたいだ。
言葉も踊りも、手段。
目的になると、
自己完結しちゃったり、
自己陶酔しちゃったり、
きっと、雑念が入る。
そういう意味で
踊りは手段であるべきだし
踊り手は、媒介者であるべきだと思う。
踊りには
自分のありとあらゆるものを注ぎ込む。
なのに、踊りは常にいち手段にとどまる。
踊りって、
ものすごく残酷で、美しい。
とても、惹かれる。