ゆく年くる年

2017年は時間がめまぐるしく過ぎて、

人間はこうやって余裕をなくして

思考停止してrobot-likeになっていくんだなあ

と感動し絶望した1年でした。

 

2017:
現実的な生活と現実逃避
抽象的・概念的思考が遠い

依存(枠的なものを俎上にあげて)

 

2017年は学生の間に理解していなかった

社会の仕組みを知ったり、

現実を目の当たりにしたり、

「現実」がひたひたと身体にまとわりついて

生活を始めた気がする。

でも、そこから逃げたくて

仕事とか人間関係とか生活とかを見ないで

それにも疲れて、色々とバランスを崩した

そんな1年でした。

 

現実を見たくないーと言うわりには

思考がどんどん現実味を帯びていって

抽象的なもやもやとか、概念的な感覚に

浸ったり考えたりすることから

離れてしまっているような気もして、

枠内にいるのが苦痛なのに枠外に行けない

みたいな。

 

人間関係の枠にも悩みまくって、

枠からはみ出たり、ハマってくれない人に

期待して悩んで自爆して、

枠なんて、とか口先では言ってたけど

自分が当事者になるのはものすごく痛い

最後の最後で依存しかけたり、今もだけど

 

そんなことがあったので、来年の目標

(最後やっぱり適当になる反省)

 

2018年にやること:
人間に対して期待しない
身体の使い分け
睡眠と遊びへの固執
パスポート取得
もう1つの収入源作りに挑戦してみる
どこにも見せなくていい振付を作る

IntimissimiとAnnebraに行く

 

gray gray grey

人間関係に名前が付けられない。

 

世間一般で言うところの「恋人」は

いないけれど

デートやハグやキスやセックスをする、

特定の相手がいる。

 

じゃあその人が世間一般で言うところの

「セフレ」なのかと言われると

彼は自分の趣味の仲間であることの方が

最初に来るし、議論なんかもするので

身体だけの関係とは言いたくない。

 

みんなどこで線引きしてるんだろうなあ

私にはそれが「ちゃんと」出来ない。

その事実を知っている周囲からは

「だらしない」とか「ビッチ」とか

思われているのかもしれない。

 

言語コミュニケーションよりも

身体コミュニケーションのがしっくりくる

人間関係が私にはある。

その人とのコミュニケーションが

どんな方法で、どんなベクトルで、

どんな流れで現れるだけじゃないのかな

 

誰かに理解してもらわなくてもいいや

って思えたらいいのに。

 

ケガをしたかった、そうすれば辞められる

セルゲイポルーニンの映画を観てきました。

We can replace just one letter from DANCER to DANGER

なんだなあ、としみじみ感じました。

 

痛くて、言葉に出来なくて、苦しくて、

逃げたくて、でも逃げる場所がなくて、

 

あの有名な撮影シーンと

「ケガをしたかった、

そうすれば辞められる」

で、もうひしひしと、ぎゅっとなって

ほぼ泣いてた。

 

私はプロからは程遠いところまで

自分を運んでしまったけど、

バレエを週4~5でやってる時は

ずっとケガをしたかった。

 

バレエから離れて、大学生や社会人をやって

色んな人と交流してみて

なんで表現を生業とする職業の人間が

こんな色々な物事を経験したり考えたりする余裕を与えられないんだろう、と

矛盾というか、犠牲にするものの大きさに

おののいたり。

 

ここ最近、自分が決めたはずなのに

自分にとってどうでもいいことで

生計を立てることに辟易していて、

踊っていられればいいのにって、でも

踊ってるときに感じる幸せは

逃げおおせた者が多めに享受してるのかもしれない。

 

ひとまず。

社会に囲われる秩序と虚無と、眠い

つかれた。

 

あ~~~~~~~

つかれた。

 

時間がめまぐるしく過ぎて、

明日が真っ直ぐに向かってきて、

やること覚えること気を遣うことは

とめどなく溢れて

一般的には「分かちあう」はずの

同期数人にはどうしても迎合できなくて

思考方法が、がっちがちの枠になっていて

 

慣れれば大丈夫なのかな。

2年目なのに、まだ慣れられないのかな。

違和感は持っていたいけど、

違和感を持つってストレスだ。

 

一旦ゆっくり休みたい。

1年くらい、休みたい。

 

長いかな。

 

 

はふとぅの間

いつのまにか、

「なくちゃいけない」物事ばっかり

私の周りやナカにあるみたいだ。

 

帰宅中の道端で、子供がぎゃん泣きしていた

 

ぎゃん泣きだ。

隣にはお母さんと思われる人が

「鞄投げちゃダメでしょ」と

子供を叱っていた。

ふと目をやると、川が見えた。

 

「もし投げた鞄が川に入っちゃったら…」

と、一瞬想像して

「なくちゃならない物はお母さんの鞄に

入ってるだろうし、大丈夫か」

と、思ってしまった。思ってしまった。

 

なくちゃならない、なんて、

どの面下げて言えるんだろう私は。

 

その子にとっては、

その鞄の中に入ってるものが

その子の財産かもしれないのに。

もしかしたら命が入ってるかもしれないのに

 

たしかに社会的に見たら、

「なくちゃならない物」は

入ってないかもしれない。

うん、きっと入ってないだろう。

でもなあ、なんか、

 

どうでもいいものだろうな、大丈夫だろうな

 

そう思ってしまった自分に嫌気がさす。

 

私の中には、周りには、

どれだけの「なくちゃならない」物事が

あるんだろう。

 

お水は?1万3000円は?バナナは?誕生日に弟からもらったタンブラーは?仕事の書類は?セフレは?リップクリームは?家の鍵は?歯ブラシは?スケジュール帳は?

 

もにょもにょ考えてみようかな。

あと、

「なくてもいいもの」を大切にしたいな。

閉じる綴じる

次年度: 私をぱったり見なくなる人がいるかもしれません。でも生きている予定です。

 

食べたり、寝たり、必要な物を買ったり、
生活上、消費はしなくちゃ生きていけないと認識してはいますが、
最近、別の部分での消費が過ぎる。

 

1. 自分の消費
予定を詰め込む癖が抜けない。会いたい人が多すぎる。会いたい人にはどんどん声をかけちゃう。結果、消耗する。身体には多く出ないけどたぶんへとへと。質悪いことに、気づけない。

 

2. 他人の消費
1で余裕が無くなるせいでよくやってしまう。
自分の意見や感情を相手にぶつけてしまう。それだけならまだしも時に不要な欲を含む。自己顕示欲だったり承認欲求だったりは、他人にぶつけることで満たすものではない。

よくやってる人いるけど、それは人の「消費」だ。揶揄の意味を含みつつそう呼称している。

(この辺りまで読むと「消費」のゲシュタルト崩壊が起きそう。わらい。)

 

1, 2でもにゃもにゃしたように、

物理的な消費ではなく、自分や相手の見えない部分を消費している気がする。


それは、避けたい。

 

自分はそこまでできないことに

自分で早く気づいてほしい。


私は自分が心地よい範囲を探して

ふわっふわ飛び回り楽しんでいた

はずだったのに、

いつのまにかboundaryを探している自分に振り回されている。


もうやめよう。

 

自分の軸はきちんとあるんだから、

そこにもう少し、近づこう。


という訳で自分の行動範囲を狭めます。
私が声かけてきたら問うてやってください。
リルケに倣って籠り中じゃないの?」


でも最後まで読んでくれる人が、

私の内籠り中に会いたい人

だったりするんだよね。わらい。おわり。

単純かも

なんだかんだ、うまくいくと思ってた。

 

私のやりたい分野から

とことん離れたところで働き始めて早1年。

どうやら私は早くも挫折しかけている。

 

うまくいくと思っていた。

小中高と優等生でやってきて

全国でトップに近い国立の大学へ通って

趣味で続けるバレエは踊ればうまいと言われ

思考が哲学的、仕事もできそうと評価された

 

私の人生激しく楽しくやっていける

そう思っていたしそう思っているのだけど

どうやらそう上手くもいかないらしい。

 

タイムマネジメントが下手だった

人に説明するのが苦手だった

お金にさほど興味が無かった

社会の常識を是とし動く人が嫌だった

 

社会というものは、とても偏屈だと思う。

でも、疑問をもたず従える人間が羨ましい。

 

こういう気持ちを持ってから、

救われる時も多々あった。

 

先週、気になっていた男性に言われた

「俺と一緒で社会不適合だね」が、

とてつもなく嬉しかった。

十中八九叶わない恋だけど、

その言葉のために神様が引き合わせてくれた

と思っている。

 

不適合で良い。

適合するほどの価値がないと

半ば本気で思っている。

 

でも、社会に村八分にされるのは悲しいなあ

私は、これから社会でやっていけるのか

社会というよりも、まずは会社。

この社会の縮図みたいな会社。

人がものすごい密度に詰まっている会社。

この濃い人間関係に

慣れることができるのだろうか。

社会の忠犬である会社に貢献したい、と

思い続けられるだろうか。

 

ストレスを自分で溜め込み

したくない勉強を強いて、

自分は何をやってるんだろうと認知している

 

と思いつつ寝て起きたら

スッキリしていた。

単純だ。