腕と手のあいだ

剃刀で、
皮膚を少しえぐってしまった。

痛い。
いたい。
ズキズキする。

傷痕が残らない絆創膏をしようと思って、
なんで傷痕が残っちゃいけないのかなあ
と、
ふと不思議に感じた。

ズキズキ。
痛い。

爪痕、傷痕を
残す必要があるときも
きっとあるんだろうなあ

いたい。

血が流れる。
そういえば、誰かが
血を少し抜くことは身体に良い
って言ってた。

ズキ。
痛みが、その爪痕を肌に残し始める。

「しっかり」

たとえば人の写真を撮るとき、
授業でノートをとるとき、
たとえばお風呂で身体を洗うとき、

全身をきちんと映す必要があるのか?
書き留められた全てを写す必要があるのか?
全身をくまなく洗う必要があるのか?

そう考えながら、
力まずに、
少し、心を残しながら、過ごしてみる。

自分ルール、
ときに、
そんな足枷を外す勇気を持ってみると
どうやら面白いらしい。

not like winter, but is indeed

もったりした、夜中

夜だと思って油断してたら
光が、
カーテンの奥からにじみ出ていて
這いつくばって
影との境界線をあやふやにしていく

そんなあたたかさ。

留めておこうとすると
するっと逃げてしまう

でも、少し経てば
また戻ってくる

そのあやふやな冷たさ

だから安心していいんだ。
久しぶりに夜に感謝した。

深い、踊り

自分が踊っているのを見て
絶望して
どこかでホッとして

主に技術的に
改善していく所は多々あるのだけど

「深み」
が足りないなあ

と、思いまして

そういう雰囲気とか動作って、
きっと普段の動きから滲みでるもの。

いろんな経験をして、
泣いて笑って悩んで

そういう積み重ねが


と出てくるんだろうなあ

とか考えてたら
疑問がひとつ。

「バレエダンサーたちって
そんなに色んな経験してるの?」

私が知る限りでは、
そこまで色んな所に向かっていく人を
見たことがない。

毎日朝から晩まで踊って、踊って
外国だと、学校に閉じ込められて

むしろそういう制約があるから
少し外に出るだけでぶわっと
美しさや、色気や深みが
溢れだしたりするのかな

たくさんの経験をさせてもらえないのに
「深み」を求められるのであれば

矛盾に満ち満ちているなあ

と思ったのでした。

手段と目的のすり替え

踊ることは目的じゃなくて、
手段なんだな。

と、最近切に感じる。

たとえば、
好きなひとに
好きって気持ちを伝えたくなったときとか、

言葉に出来ないモヤモヤを
どうしても外に出したいときとか、

そういう時に、
伝えたり、出したりするために
踊る。

そう考えると、踊りって、
言葉みたいだ。

言葉も踊りも、手段。

目的になると、
自己完結しちゃったり、
自己陶酔しちゃったり、

きっと、雑念が入る。

そういう意味で
踊りは手段であるべきだし
踊り手は、媒介者であるべきだと思う。

踊りには
自分のありとあらゆるものを注ぎ込む。

なのに、踊りは常にいち手段にとどまる。

踊りって、
ものすごく残酷で、美しい。

とても、惹かれる。

失楽園

野外で踊った時、
見上げた空が美しくて

あ、もうこれでいいです。

って思って。

夜はしんとしていて
朝は、容赦なく私を現実に戻す。

それでも、見上げた空は大きくて
私は、恋をしているのだと気付いた。

だんだん崩れていく笑顔が
警戒心を弱めていく笑顔が
そんな私を否定する。

深い声は
とんがった唇は
そんな私を受け入れてくれない。

どうやったら、自分の殻に閉じ籠れるの。
どうやったら、
その笑顔から
声から
唇から
逃れられるの。

ひとりで、いたい。
そう思うのとは裏腹に
人を誘い、誘われ、
予定の調整に追われて

私は、自分が出来る、したいことも
満足にできない。

透き通った肌に水分が反射して
ずいぶん美しい光景だった。